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観世流のご案内

二十六世観世宗家 観世清和(かんぜきよかず)
       二十六世観世宗家
         観世清和
【プロフィール】
二十六世観世宗家
観世 清和(かんぜ きよかず) 
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昭和34年東京生まれ 
父は25世宗家 観世左近(元正)
平成2年 家元継承
室町時代の観阿弥、世阿弥の流れを汲む 観世流の26世宗家として、現代の能楽界を牽引する。
国内公演はもとより、フランス、インド、タイ、中国、アメリカ、ドイツ、ポーランド、リトアニアなどの海外公演、及び「箱崎」などの復曲、「利休」をはじめとする新作能にも意欲的に取り組み、2012年にはキリシタン能「聖パウロの回心」を初演した。
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芸術選奨文部大臣新人賞受賞。
フランス文化芸術勲章シュバリエ受章。
平成24年度(第63回)芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
平成25年「第33回伝統文化ポーラ賞」大賞受賞。
平成27年「紫綬褒章」受章。
令和2年度(第77回)「日本芸術院賞」受賞。

重要無形文化財「能楽」(総合認定)保持者。
(一財)観世文庫 理事長
(一社)観世会 理事長
(一社)日本能楽会 常務理事

著書に「一期初心」(淡交社)、新訳「風姿花伝」(PHP)、「能はこんなに面白い!」(内田樹氏との共著/小学館)などがある。

観世流の歴史

世阿弥直筆「第六花修」
▲世阿弥直筆「第六花修」
観世流の原型となったのは、南北朝時代に大和(奈良県)で活動していた猿楽芸能の一座・結崎座で、その結崎座に所属し、大夫(座の代表する役者)を勤めていた観阿弥清次が観世流の初代です。

観阿弥は、息子の世阿弥とともに京都に進出し時の室町幕府三代将軍足利義満に認められ、その庇護のもと各地に勢力を伸ばします。

都の貴族文化を吸収した観世座の能は、観阿弥、世阿弥父子の手によって芸能としてより洗練され、深みを増しました。観阿弥の後を継ぎ、二世観世大夫となった世阿弥は、夢幻能という独創的なスタイルを確立したほか、「風姿花伝」などの画期的な芸能論を著すなど、傑出した才能を発揮しました。能を深遠な人間論と哲学に貫かれた芸術に高めた世阿弥は、芸術史上の巨人として、今では国内のみならず世界からも注目され、仰ぎ見られる存在となっています。

世阿弥の息子・元雅が若くして亡くなりましたので、観世座の大夫は甥の音阿弥が継承し、以後 代々の大夫が時の権力者の保護を得ながら観世の能を後世に伝えました。

江戸時代に入りますと、徳川幕府が能を式楽(幕府の儀式で奏される音楽・芸能)に定め、また様々な流派の中でも特に観世流に庇護を加えたことによって、観世流は観世父子以来の全盛時代を迎えることとなります。
この間に、いわゆる家元制度が確立し、また能の演技そのものも、公的な行事の場で演じられるに相応しい荘重なものとなり、現代演じられている能のスタイルがほぼ出来上がったと考えられています。

明治維新によって江戸幕府が倒れ、幕府から俸禄を得ていた観世流は苦境に立たされることとなります。しかし、家元等の努力によって次第に復調し、二十四世家元・観世左近元滋の時代には、すべての上演曲目の整理を行い「観世流大成版」謡本を刊行致しました。

昭和に至り、うち続く世界大戦が国民の文化生活を根底から破壊します。更に戦後の統制政策によって、日本の伝統文化が排撃されようとする中、観世流も再び苦難の時代を迎えますが、二十五世観世左近元正をはじめとする能楽師はねばりづよく能の伝承の保持と後継者の育成に努めます。そして二十六世観世清和が伝統芸能の世界を牽引する平成の現在、観世流は能楽師約900人を擁する最大の流派となり、能はふたたび新たな黄金時代を迎えようとしています。

(註釈)
能楽の世界では家元を「宗家」と呼びますが、そもそもは徳川幕府将軍から観世の大夫が与えられた名称でした。また「二十六世」の世号も「二十六代目」と表すのとは異なり、元は出家名として京都の大徳寺より贈られた号で、十五世の時代より、出家をせずとも世号を名乗ることが許されたとのことです。

観世大夫家略系譜

観世大夫家略系譜

(2009-10-10 ・ 1647KB)

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