世阿弥のことば


其の1
「初心不可忘(しょしんわするべからず)
    
 (世阿弥「花鏡」及び「風姿花伝」第七「別紙口伝」より}

「今日の新鮮な感動を忘れるな」という結婚式や入社式のスピーチ用に世阿弥が言ったのではないのです。稽古の進歩を計る座標のために、初心の未熟な芸もとっておけと言うのです。
ひとつの初心が乗り越えられた時、それは新しい時点での初心との遭遇なのです。
結局毎日は新しい初心の連続なのです。最後に老後の至難な初心が待っているのです。
果てしない初心の積み重ねこそが、無限の芸の可能性につながるのです。



其の2
「秘すれば花なり。秘せずば花なるべからず」(第七「別紙口伝」)

「秘すれば花」。終生能に傾倒した文人 立原正秋は、そのエッセイ書名に世阿弥の言葉を用いています。
「花」こそ世阿弥が生涯を賭けて追及した美学、魅力のあり方です。
花とは面白さであり、それはイコール珍しさだと言うのです。
ねかしておく時間の大事さ。観客とのタイミングの把握。
秘するどころか何ごともあらわにして羞じぬ現代、待つ時間のないインスタントの時代。
刺激のみ追い求めて人間の魅力はどう変容するのでしょうか。
表現を惜しみ、隠すことによってより美しいものを伝えようとする能。
現代の若い世代、あるいは海外からの熱い目は、「あらわす文化」に行き詰まった振り子が、能の側に振れている現象ではないでしょうか。


其の3
「離見の見」(りけんのけん)(世阿弥「花鏡」)

舞台の演技者は自分の姿を見ることはできません。
特に後姿は。離見の見、つまりあらゆる観客の目の位置に心の目を置いて、自分の完璧な舞姿を完成せよ。
これはまさにモニターテレビによるチェックの考えかた。
世阿弥の発想はきわめて現代的ではありませんか。
人生において離見の見を持ち得たら、それはもう「人生の達人」でありましょう。
 (以上 武蔵野大学名誉教授 増田正造氏「観世流 能のすすめ」(観世宗家刊)より)

其の4
「稽古は強かれ、情識(じょうしき)はなかれ」  (風姿花伝 「序」)

稽古には徹底して強くあるべきで、慢心のための強情・頑固があってはならない。


其の5
「上手は下手の手本 下手は上手の手本」 (第三「問答条々」)

下手の得意芸を上手のシテが真似ないのは情識ゆえと断定し、「下手は上手の手本」と心得て能と工夫を極めるということ。
能の役者に限らず、どのような仕事にも言えることではないだろうか。

※情識・・・慢心のための強情・頑固さのこと

其の6
「家、家にあらず、継ぐを以て家とす。
   人、人にあらず、知るを以て人とす」
(第七「別紙口伝」)

「家はただ続くから家なのではない。継ぐべきものがあるから家なのだ。人もそこに生まれただけでそこの人とは言えない。その家が守るべきものを知る人だけが、その家の人と言えるのだ。」

 


「命には終りあり、能には果てあるべからず」
                                  (世阿弥「花鏡」)